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【たまごの物語:西暦3015年】移りゆく時、変わらないもの/tara

      2015/03/15

【たまごの物語:西暦3015年】移りゆく時、変わらないもの/tara

原稿用紙と万年筆。
どれだけ執筆ツールが発達しようと、やはり直に文字をしたためる人間というのは一定数いるようで。或いは、1万年とは言わずとも千年以上使い続けられてきた万年筆を愛用している好事家なんかもいるかもしれない。
現在西暦3015年。人類は未だ生存している。
人類の暮らしは大きく様変わりもしたし、逆にまるで変化していなくもある。
電力頼みの生活は衰退し、熱や光、運動に音といった各種エネルギーを変換することなく利用するようになったのは、ここ千年での最大の革新と言えるだろう。ゴンドラに乗って流水に運ばれ、日中に結晶に保存した光を解放して灯りにする。教科書などで目にする明治時代の風景が今のものと近いことに驚くのは、小学校で誰もが通る道だ。
もちろん、電気を全く使わなくなったかと言えばさにあらず。今だって情報通信の分野では大きな位置を占めている。風力や太陽光などの自然に優しいとされてきた発電方法こそ、風下や日向だった場所への影響が甚大だったことにより普及しなかったが、そこは人間も愚かではない。放射線を電力に変換するという突飛な発想を実現し、原子力発電が発展著しい。20世紀最高の頭脳と今も歴史に名を残すアインシュタイン博士も浮かばれるだろう。
宇宙開発は現在も日進月歩とは言い難い。地球の重力が恋しいのか、たったひとつのミスで真空の宇宙空間に投げ出される危険性ゆえか、旅行がせいぜい。月生まれと一躍注目を浴びた少年も、今は地球暮らしという皮肉めいた話もある。
広い目で見た社会情勢はそんなもの。では、焦点を変えて一般人の暮らしはどうか。
変化がないと言えば、これがあまりにも変化がない。
いや、前世紀から生きているご年配に言わせれば、随分と文明が発達したらしいのだが、結局のところ、人間や人生というものに大きな変化は見られないように思う。
いくら人工知能が発達しようと人間の仕事は無くならないし、脳だけになって生きていく、なんてSFなんだかホラーなんだか分からないことにもなっていない。
相も変わらず、ご近所付き合いに苦労したり、逆に人の温かさに気付いたり、仕事や勉強、人間関係で一喜一憂し、他人の色恋に騒いでみたりときっと紀元前からなんの変化も遂げていないのだ。
強いて言うなら、世の中が文学的になったくらいか。その昔は全て数値で表現し、客観性こそが絶対の指針とされていたようだが、そんなわざわざ個人の孤立を深めるようなやり方はとっくに廃れている。
そういうのは演算器に任せておけばいいのだ。我々は人間らしく、心の動き、誰がどう感じているのか、即ち主観を大切にする。会話を交わし、語り継ぐことで、経験を共有し、正しさよりも人それぞれが感じたものを尊重する。大規模な戦争が起きても人類が滅びなかったのは、きっとそういうものが人の心には備わっていたからなのだ。
その一環として、グローバルという考え方はかなり進んだが、やはり土地や言語といった基準で、国家という区切りは残っている。特に日本は島国なので、他国との差異が顕著だ。
平和憲法を守ってきた国として、各国のオピニオンリーダーとして振舞うこともある。まあ、一番はエインターテインメント分野なのだが、これも戦争の抑止に繋がっていると考えればそう馬鹿にしたものではない。
バイオマスの発達により、起伏の激しい我等が日本国では林業が盛んになり、必然の流れとして製紙業も世界トップクラスである。
省スペースの観点から言えば、デジタルデータの方が圧倒的に便利とはいえ、いつの時代も紙のページを捲らなければ読書した気にならないという人種がいるものだ。もちろん、自分もその一人である。
生き死にに関わる貧困がほとんど淘汰された現在、医療の発展は停滞気味。人間の寿命だって二度目の還暦を迎えればギネスに載る。
なので、技術の発展を劇的に促すもうひとつの要因――戦争に頼ろうという考えは、お偉方の間ではかなり多かったと聞く。当然、反対派だって必死だ。やはり一般人のレベルで見れば、戦争ほど迷惑なものはない。
そこで持ち出されたのがエンターテインメント分野だった。
人の生き死にに関わる医療と戦争。この二つは正負両面から必然的に技術を高めていく。
それに比肩するものはといえば、これはもう人間の欲望以外ないだろう。
人間の飽くなき欲求、もっと端的に言えば快楽。これを満たし続けることで、不満をぶつける戦争行為を抑止する。
なるほど考えたものだ、と今でこそ膝を打つ話だが、当時は不謹慎とか風紀の乱れがとか散々叩かれたらしい。
しかし、その効果が認められ――或いは、反対派も自身の欲求に耐えられなかったのか――エンターテインメントは生活の大きな位置を占めている。
当然の流れとして、それに携わるもの、クリエイターと呼ばれる人間も増えた。
巷では大芸術時代とかいう謳い文句も出回っているようだが、実態はそんな華々しいものではなく、現在人類の抱える最も大きな悩みは、如何に面白いものを創作するかだろう。
斬新な設定も意外な展開も粗方掘り尽されており、エンタメルネサンスなどと皮肉混じりに語られる始末だ。
斯く言う自分もなんの因果か物書きなんぞをやっている。
好き好んでキツい仕事に就かずとも、農業とかのんびりした選択肢もあったのだが、生まれ持った性分なのだろう。気付けば筆を取り、うんうんと唸りながら締め切りと戦っている。
とはいえ、やはり面白いものが書き上がれば、これ以上ないというくらいの達成感が湧き上がってくる。そして、それを読んでくれる人々の存在が、再び僕に筆を取らせるのだ。
読者に、出会いに、感謝を。僕の主観は、そうして誰かの主観(じんせい)と交差する。
握った万年筆を見て、ふと思う。
そうだ。千年前の人々はどんな風に日々を送っていたのだろう。機械のように自動的に過ごしていたのか、それとも人たらんと奮闘していたのか。
――今回の題材はこれで決まりだ。
今日も僕は文章を綴る。
いつの時代も変わらない、僕という人間が生きた、確かな証だ。

作者プロフィール

tara
2012年8月末に、思い立ったが吉日とばかりに小説を書き始める。
翌年春に調子に乗ってライトノベル新人賞に投稿するも、世の中そんなに甘くないと実感。
以後、とにかく書いては投稿を繰り返す日々。取り敢えず数だけは書いている。
小説家デビューまではもう二、三歩足りない感じと信じてやまない今日この頃。
多趣味。小説もマンガもアニメもゲームも音楽もファッションも社会問題も哲学も興味津々。活字依存気味。

作者あとがき

まず最初に、読んでいただきありがとうございます。
この話の世界観は、僕が考える来るべき未来です。こうあって欲しいという理想ではなく、必ず訪れるであろう地点でもない。
論理的に考え、こんな風になれば人類はより良い道程を辿っているだろう、という推測です。
わくわくするような憧憬もなければ、ハラハラするような焦燥もない。けれど、そこには希望がある。
日々とはそうあって欲しいものです。
みなさんが思い描く未来とはどんなものでしょうか? それが明るいものであることを願っています。

 - 西暦3015年

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