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【たまごの物語:100万円】そういえばあのころは/チャンク

      2015/04/21

【たまごの物語:100万円】そういえばあのころは/チャンク

沙織は自室のベッドに寝転がりながら、銀行の通帳を眺めていた。
「九十七万三千四百八十二円か……」
口を半開きにしながら通帳をぱらぱらとめくり、並んでいる数字に目を通した。
パン屋でアルバイトを始めてから二年半が経つ。高校に入学して以来、唯一ずっと続けられたことだ。
一年生の秋まではバスケットボール部に所属していたが、アルバイトとの両立が難しいことと、先輩たちのしごきがあまりにも酷かったことが原因で辞めてしまった。あれは練習や指導と言えるものではなく、いじめだった。中学校では三年間続けられたバスケットボール部だったが、それほど思い入れは無かったので、退部に迷いは無かった。
これといって趣味も無く、熱中できるものも見つからなかった。それも影響してか、暇つぶしの目的でもあったアルバイトは続けられた。
アルバイト代の使い道はとくに決めていなかった。服を買ったり、友達と遊びに行ったりで出費はあったが、それほどの多額ではなかったので、毎月の収支で赤字になることはなかった。むしろアルバイト代の方が圧倒的に多かったので、二年生に進級する頃には両親からのお小遣いを自ら断っていた。家計への気遣いもあったのだろう。
沙織は閉じた通帳を枕の脇に置き、ぼーっと天井を眺めた。次のアルバイト代が入ったら、預金が百万円を超える。何に使おうかと頭を巡らせたが、まったく思い付かなかった。
顔を左に向けると、机に置いてある時計が五時半を指していた。ベッドから起き上がり、階段を降りて台所へ向かった。手には通帳を持っていた。
「お母さん」
沙織の母が夕飯の支度を始めるところだった。
「なに?」
声の方をちらりと見て、沙織の母は冷蔵庫を開けた。
「もし百万円があったら何する?」
沙織の母は冷蔵庫から取り出したニンジンとキャベツをテーブルに置き、手を止め、悩み顔をした。
「うーん、そうねえ……洗濯機と冷蔵庫を買い替えたいかな。それとテレビと炊飯器も。あ、車の車検もそろそろね。あとは、お父さんのスーツも買ってあげたいし、沙織の学費も助かるわね」
沙織は高校を卒業したら短大へ通おうと考えていた。進路を決める時期になっても自分のやりたいことが見つからなかったので、とりあえず進学してみようという軽い気持ちだ。パン屋に就職することも考えたが、店の都合でアルバイト以外は雇わないことになっていた。
「そういうのじゃなくて、こう、やりたいこととか、自分の趣味とかさ」
沙織の母は更に悩んだ。
「そう言われてもねえ……最近は家のことで頭がいっぱいだし。うーん……新しい下着とか? もう何年も同じ物を使っているから」
「百万円分の下着? それだけでタンスがいっぱいになっちゃうよ」
「そんなに買わないわよ」
二人はお互いの顔を見合い、ふふふと笑った。
「それにしても、どうしてこんなことを聞いてきたの?」
「アルバイトで貯めたお金がもうすぐ百万円になりそうなんだよ。ほら」
沙織は通帳を母親に見せた。
「ほんとだ! すごい!」
沙織の母は目を丸くして声を上げた。
「よくこんなに貯められたわね」
「使い道が無かっただけだよ」
沙織は返してもらった通帳を見直した。間違い無く、百万円近い金額が記載されている。
沙織の母は、優しげな顔を沙織に向けた。
「自分で貯めたお金だから、自分のために使えば良いのよ。趣味でも、やりたいことでも、将来の夢でも」
「うーん、夢かあ……」
母親の言葉に沙織はいまいちぴんとこなかった。
「そのうち使う時が来るでしょ。あ、でも、無闇に使っちゃ駄目よ。変な人に引っ掛かったり、怪しい話に付いて行ったりしないように、気を付けなさい」
沙織の母は真剣な表情で言った。
「そんなことには使わないよ。大丈夫」
沙織は階段を上がって自室へ戻った。
クローゼットを開け、奥にしまってある約四十センチ四方の箱を取り出した。中から幼稚園の卒園アルバムを取り出し、『将来の夢』というページを開いた。沙織の欄を見て、思わず吹き出した。
〈かわいいおよめさんになって、だんなさんとしあわせになる〉
次に、小学校の卒業アルバムを見た。『将来の自分』というページに載っている自分の欄を見て、また吹き出した。
〈ちょっとだけ働いて、結婚して主婦になる〉
小さい頃の自分がこんなことを書いていたなんて、完全に忘れていた。
最後に、中学校の卒業アルバムを見た。『未来の自分へ』というページを開き、自分の名前を見つけ、また笑ってしまった。
〈お元気ですか? 今はどうしていますか? 働いていますか? 寿退社して結婚しましたか? 子どもはいますか? 今の私は、将来やりたいこともまだ見つかっていません。あなたは見つかりましたか? 幸せな毎日を過ごしていることを願っています〉
どの卒業アルバムでも、結婚して主婦になる未来を願っていたようだ。そんなことはいつの間にか忘れていた。高校生活の中で結婚なんて考えたこともなかった。アルバイトによって労働を経験したからなのかもしれない。自分でお金を稼ぐ実感を得たことによって、結婚相手に養ってもらうという考えが消えていたのだろう。
昔の自分が微笑ましく思えた。
沙織は卒業アルバムを箱に戻し、クローゼットにしまった。そして椅子に座って机に向かい、通帳をめくった。預金の残高を見ながら、高校の卒業アルバムに書く内容を考えると、沙織は久し振りにわくわくした。

作者プロフィール

チャンク
チャンクと申します。
映画・ドラマ・小説・マンガなど、物語が好きです。最近はYouTubeの動画もよく見ています。現在は初めての長編小説を書いているところです。たまごの物語への投稿は、これで4度目になります。Twitter:@chank1129

作者あとがき

百万円は大金です。色々な物を買えますし、遠くへ行けますし、新しい仕事を始められますし、当分の生活費にもなります。
しかし使うのは一瞬でも、手に入れるのは大変です。多大な時間または労力、もしくは能力や運が必要になります。
もし自由に使える百万円があったら、私はとりあえず歯列矯正をしたいです。歯並びは他人へ与える印象に関わりますし、かみ合わせは自身の健康に影響しますから。
「もし百万円があったら」と仮定し、自分が本当にやりたいことを考えてみるのもいいかもしれませんね。

たまごの物語とは

与えられたテーマで、ショートショート(超短編小説)を執筆・投稿していただき、気になった作品を「小説家のたまご」にて公開させていただくコーナー。500~3000字と少ない字数なので、比較的短い時間で気軽に参加することができます。
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