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【たまごの物語:お金】優しくない世界の優しさについて/徒川ニナ

      2015/01/15

【たまごの物語:お金】優しくない世界の優しさについて/徒川ニナ

友達だと思っていた内藤の「五百円貸して」が「千円寄越せよ」になるのに、そう時間はかからなかった。
一週間に一回だったそれはあっという間に三日に一回になり、今では顔を合わせる度に金をせびられている。
当然所持金はあっという間に底をついたが、すぐにあいつは「親の所から持って来ればいいだろう」と昼休みに僕を家まで走らせるようになった。次の授業まで四十五分。その間に速やかに、僕は任務を遂行しなくてはならない。

駆け出した僕がアスファルトをスニーカーで蹴りつける度に、薄いソールが悲鳴をあげた。
膝へ返ってくる固い反発が、ガサガサにささくれだった心を絶え間なく痛めつける。
軋む関節も、呼吸を妨げる窮屈な学生服も、何もかもが僕に優しくない。
世界はどこまでも他人行儀に回り続けている。僕なんていなくても、きっと、きっと。

母は幼い妹を保育園に預けて日中は小さな工場に勤めている。
家には誰も居ないはずだけれど、これからすることを思うと後ろめたさから自然に息を殺していた。
なるべく音をたてないようにして廊下を抜け、ダイニングにある戸棚の前に向かう。
部屋の中央には小さめのテーブルと二脚のチェア、そして幼児用の背の高い椅子が置いてある。
――ここにもう一つ椅子があれば、自分にはまた違う人生があったのだろうか。
僕はぼんやりと、どこか寂しい色をした木目を見つめる。

そもそも内藤にいちゃもんをつけられたきっかけは「お前んとこの親、離婚したんだろ」だった。
母が暗い顔をして仕事に明け暮れるようになったのも、妹が夜中に泣きべそをかいてなかなか寝つけないのも、全ての始まりは父との離別だ。
僕は父と呼んでいた人間を、今では明確に恨んでいた。
そして飽きることなく金をせびる内藤と、僕にちっとも優しくない世界を憎みながら、ひっそりと息を吸い、そして吐いている。
いつこの呼吸が止まっても、とりたてて困りはしないと虚ろな眼でこの世のありとあらゆるものを俯瞰しながら。

戸棚の上から二段目にある引き出しに、生活費の入った茶封筒がある。
僕はそこから一万円を取り出すと、慎重に元あった場所へそれを戻した。
この封筒に手をつけるのは確か三回目だ。今まで母に気付かれたことは無い。
初めの時に感じた強烈な罪悪感も、今では少しずつ薄れてきた。
こうして人間は少しずつ、惰性と共に駄目になっていくのだろう。
僕は詰めていた呼吸を少しだけ吐き出すと、くるりと踵を返し、そのまま部屋を去ろうとした。

「にーちゃ?」
不意に聞こえた声に背筋が凍る。
振り返るとそこには、パジャマ姿の妹が、寝癖だらけのぼさぼさ頭で立っていた。
「美優……お前、保育園は?」
口の中がカラカラに乾いていくのがわかる。?の筋肉が歪に引き攣り、醜い笑みにも似たものが浮かんだ。
「みゆ、お熱でたからおやすみなの」
右目を小さな手のひらで擦りながら眠そうな声でそう告げて、妹は小さく欠伸を漏らす。
「……母さんは?」
少しの間をおいてから、一番聞きたかったことを尋ねた。

「おしごとやすんだって。いっしょにおひるねしてたけど、まだねてるよ」
あっち、と美優が指差したのは寝室の方だ。
大方看病をしているうちに一緒に眠ってしまったのだろう。
ほっと胸を撫でおろすと、嫌な汗が一気に背中を伝い落ちたのがわかった。

「……にーちゃ、お金いるの?」
しかし幼い声が告げたその一言に、僕はすぐさま現実へと引き戻される。
ぎょっとして右手に掴んだままの一万円札を背中に隠し、わざとらしい笑みを浮かべて見せた。
「あぁ……これは、その、今日の夕ご飯の為のお金なんだ」
苦しい言い訳だが、子供には充分だろう。
誤魔化すように少しだけ背を屈めて、あっちこっちに跳ねている髪を撫でてやる。
存外柔らかい感触に少しだけ驚いた。
「ごちそう? 今日は、ごちそうの日?」
きらきらと期待に輝く眼差しに、僕は喉の奥に詰まった言葉を一つ一つ吐き出す。
「……ああ。きっと、ごちそうだよ」
嘘だった。白々しい、救いようの無い嘘だった。
しかし美優は僕を疑いもせず、きゃっきゃとはしゃぎながらその場で跳ね回る。
「やった! ママもよろこぶね!」
盛り上がったみずみずしい頬は鮮やかなピンク色をしていた。
ああ、この感覚、覚えている。
何の混じり気も無い信頼を自然に寄せ合う関係を、僕は昔、確かに知っていた。
誰に教わるでもなく、何を言われるでもなく、ただこうして無邪気に笑いながら、そこに流れる温かいものを肌に直接感じていたのだ。

「にーちゃ、じゃあこれ、あげる! とくべつだよ!」
美優はそう言って、部屋の隅にあるおもちゃ箱から一枚の紙切れを取り出した。
ぼろぼろで、所々に落書きのある、茶色っぽいそれ。
「いちまんえん! これでごちそう、いっぱいつくってね!」
そこには福沢諭吉の顔と「にほんこども銀行」の印がプリントされていた。
余白には拙い文字で「みゆの」と書かれている。
僕は震える指でそれを手に取り、眺め、そして少し迷ってから学ランの胸ポケットにそっとおさめた。
「……ありがとうな、美優」
鬱陶しい前髪を左手でよけると、美優が満足そうに笑っているのがよく見える。
僕は喉の奥から感情の塊が飛び出しそうになるのを抑えながら、ゆっくりと戸棚の前へ向かった。
そして右手の一万円札を、引き出しの中の茶封筒へ元あったように戻す。

「にーちゃ、それ、いらないの?」
不思議そうな声で尋ねる美優に、僕は答えた。
「……これはな、もういらないんだ」
「そっか」
美優は短くそう答えると、もう一度にぱっと笑って僕の顔を見上げる。
僕はうまく笑えなかった。でも、浮かべていたのは確かに笑顔だったと思う。

「……ほら。また具合悪くなるといけないから、お前ももう寝てな」
「えー」
文句を言いたげな美優を寝室の布団に押し込み、僕は畳の上で眠っている母親を静かに見遣った。
こうして見ると細い肩だ。
そういえば昔より少しやつれた気がする。
いつも眉間に皺を寄せている癖に、寝ている時はうっすらと、昔のように優しい顔で笑っていた。
僕は下唇をきゅっと噛み締めながら押入れから毛布を取り出すと、母の身体にそっとかけてやる。

「にーちゃ、いってらっしゃ」
「ああ……いってきます」
僕はそう返事をして、二人の居る寝室を後にした。
そしてしっかりとフローリングを踏みしめながら玄関に立つ。
履き慣れたスニーカーの感触を頼りなく感じることももう無かった。
僕は、きっとここに来た時よりも、もっとずっと速く走れる。
そして学校に着いたら、残り少ない昼休みの時間で内藤にこう言うんだ。
「もう金は渡さない」って。
ボコボコにされるかもしれないけれどそれでも何とか歯向かって、今まで渡した金も少しずつ返してもらう。
それで美優と母さんにごちそうを作るんだ。
料理なんか作ったことも無いけれど、それでも今の僕にできるだけの最高のディナーを提供する。
そうしたら二人とも笑ってくれる筈だ。きっと、きっとすごく柔らかい顔で。

駆け出した僕をとりまく世界は相も変わらず優しくなかった。
アスファルトは固いし、窮屈なカラーは僕の喉元をこれでもかと締め付ける。
だけど僕は、だから僕は、膝の痛みに耐えながら必死になって走った。

どこまでも閉じられた世界の中で、額を撫でていく風だけが清涼で心地良い。
あらわになった僕の眉毛は、自分で思っていたより存外凛々しく、確かな意思をもって立派にそこでつり上がっていた。

作者プロフィール

たまごライター:徒川ニナ
writer_nina_1001987年生まれの静岡県民。自分の書いた文章を一人でも多くの人に読んでもらうべく活動中です。守備範囲は純文学からラノベまで浅く広く。時にエッセイも嗜みます。音として美しい日本語を日々研究中。Twitter:@adagawa_n

 

あとがき

今回提示されたショートショートのテーマは「お金」でした。
前回の「男と女」同様、とても難しいテーマです。
いや、難しくないテーマなんて、多分この世には存在しないのですが。

締切直前までなかなかイメージが固まらず苦戦しました。
しかし喫茶店でキーボードと向かい合いながらとある音楽に触れた時、何となく「ああ、これは戦う話にしよう」と思い始めました。
「理不尽な力と戦って、打ち勝つ」
そこから何とか構想を練り上げて、生まれたのがこのお話です。

少しテーマが重いと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、お金と言うのは元々すごくどろどろしていて、欲望に塗れているものだと思います。
そういう個人的な偏見を含め、自分の考え方が自分らしく出た作品になったかな、というのが書き終わって抱いた感想でした。

どうか、「僕」がこれからもたくさんの温かいものを大切にしていけますように。
そんな祈りを捧げながら、私もここで筆を置きたいと思います。

 - お金

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