小説家のたまご

未来の小説家=小説家のたまごを応援するサイトです。

*

テーマ:本はどれくらい読めばいいのか

      2015/03/23

今回のテーマは、読書量について考えてみます。

書籍や雑誌の売上は下がり続けている

ここ十数年の大きな流れとして、人々は、徐々に本を読まなくなっていると言われています。

下図にあるように、書籍・雑誌の売上は、1997年頃をピークに、明らかに減少しており、紛れも無い事実なのです。

shuppan

しかしこれは、あくまで世の中における一般的な売上額の統計にすぎません。

小説家になろうをはじめとするWEB媒体での読書量などは、このグラフには数字として現れてこないでしょう。

また、小説家のたまごであるあなたの場合は、もちろん普段から本やWEB小説を読んでいることと思います。

本を読まないといい小説は書けない

しかし、一口に本を読んでいると言っても、その量は人によって様々です。

1ヶ月に1冊という人もいれば、週に2,3冊は読んでいるという人もいるでしょう。

本をそれほど読んだことがない場合、または読んだことのある本のジャンルが偏っている場合、その人が書く文章はどうしても味気ないものになってしまいます。

本人は内容の濃いものを書いているつもりでも、他人から見れば、深みもないどこにでもあるような文章になってしまっていることがほとんどでしょう。小説投稿サイトでは、実際にこのような作品が少なくありません。

もちろん、たくさん読んだからといって良い小説が書けるとは限りませんし、才能のある人は本を読まなくてもいいものが書けることもあると思います。

ではどれくらい読めばいいのか

たとえば、日本推理作家協会の会長である小説家の大沢在昌さんは、小説家たるもの、最低でも1000冊は読まないといけない、という持論をお持ちだそうです。

1000冊とは、5年間週4冊を読み続けてやっと達成できる数字です。たしかに、たくさんの小説を読むことで表現の引き出しが増え、内容の重複も減り、自分が書く小説のクオリティも読むほどに高まっていきそうです。

だからといって、小説を書くには、執筆する時間を十分に確保することも大切です。5年間ただただ読んでいるばかりでは、いつまでたっても作品を完成させることができません。

まったく読まないのはだめ。たくさん読むのもの難しい。では、いったい、どのくらい読めばいいのでしょうか。

どう思いますか?

あなたには、本をどのくらい読んでいますか?どのくらい読めばいいと思いますか?

ご意見がある方は、コメント欄にご自由にお書きください。みんなで意見を、交換しましょう。

*気になるご意見を出していただいた方には、後日インタビューのオファーをさせていただくことがあります。

 - たまごの意見(全員参加型)

ad pc

ad pc

Comment

  1. 難しい質問ですが、わたしはじっくり読みたい派なのでどうしても月1くらいのペースになってしまいます。
    確かにたくさん読むべきだという意見もわかるのですが、量より質を取るとでもいいますか。人にオススメされた本、話題になっている本、自分が惹かれる本をじっくり読んだほうが読後に得られるものも大きいかと。

    とは言え、最近は全然本を読めていなかったので反省です……。

  2. TAKA より:

    毎日原稿を書いて、それを読み返す。それ以外の時間で本を読んで引き出しを増やすしか、成長は無いと思います。月10冊は読むべきかと。ただし、本を沢山読んだからと言って、いい作品が書けると思うのは間違っています。映画を観たり、人間観察をすることでも引き出しは増やせますから。ちなみに私は月に15冊は読んでます。作家になる為に。

  3.  とってもむらがあります。読むときはアホかというくらい読むけど、読まないときは読まないし。今は、電子書籍とかにはまって、紙ベースのものをあまり読んでませんが、紙で読みたいものって、あると思います。
    「ゲド戦記」とか、大好きですけれど、PCや、スマホの画面で読みたいとは何故か思わない。
     わたしは、よみきかせの活動もしているので、そのために月五十冊くらい絵本等の名作と言われるものを一時期集中して読みました。
     オルファース、センダック、バートン、マッリー・ホール・エッツ、スタイグ、ウンゲラー、日本人なら赤羽末吉、初山滋、太田大八、伊勢英子、山脇百合子(敬称略)etc.
     それらは今の私の大切な宝物です。すごく今の自分の糧になっていると思いますよ。
     本が好きだから作家になれるという事はないけれど、逆に、読むことが好きじゃないのに書けるとは思わないなあ。

  4. 素人の意見なので説得力はないかもしれませんが…特に気にしなくていいと思います。

    確かに、読書経験が豊富な作家は売れているし、作品の質も高いです。
    山田風太郎や冲方丁がそうですが…。
    ただ、お二方は幼少時から活字漬けで育ってきた方々なので、土台からして全然違います。
    大人になってから、お二方の真似をしようと思っても無理があります。

    つまり、冊数を気にするのは無意味。
    それよりも、自分の興味あるものをとことん追求していったほうが面白い作品が書けるんじゃないかと思います。
    そうなると、自然と読書量は
    増えていきそうですね。

  5. 多読家である必要はない。
    確かに多読によって表現は磨かれます。ある意味作家になる正当法かもしれません。

    がしかしいかに素晴らしい表現を用いても伝わらなければ意味はない。

    大切なのは「経験」

    百聞は一見にしかず

    それと同じです。
    100の読書より1つの経験です

  6. 匿名 より:

    内気は小説家になりたかったら、小説を読むな、と「小説家という職業」という本に書いてあったので、一年に二、三冊ぐらいしか読んでません。

  7. 何冊でもいいと思いますよ。読まない時間を他のことに回すことができるのであれば。

    結局のところ、積極的に取り組むことが大事なんだと最近は思っています。

  8. 初めまして。
    私は、自分が読んでいて苦しくならない冊数を読んだら良いと思います。
    確かに沢山の本を読んだら文章能力も上がりますし、良いに越したことは無いとは思います。
    ですが、無理に沢山読んでしまうより、自分で何冊読むか決めて無理なく読んだ方が自分の為になると思います。

  9. 菊池川詠人 より:

    私はエブリスタという会社が主催する「石田衣良小説スクール」というイベントに何度か参加しています。石田衣良さんも大沢在昌さんと全く同じ事を講義でおっしゃってました。

    石田衣良さんの場合は「一つのジャンルにつき最低1000冊」でしたが。

    ただし、個人的にはこの「1000冊」という数字は象徴的な物だと考えてもいいと思っています。

    つまりそれぐらい読まないと、過去に作られ使われた物語の型や流行のパターンを身に着ける事ができない、という意味だとも解釈できます。

    それがちゃんと身に着くのなら100冊で出来る人は100冊でいい。逆に2000、3000冊読まないと身につかない人もいるでしょうから、その人は1000冊でもまだ足りない事になります。

    あと「生まれてこの方どのぐらい読書をしているか」という要素も加味すべきでしょう。

    小学生の頃から文学少年文学少女で、世界文学全集をよく分からないながらも読破したような人は、その時の冊数が既にカウントできます。

    逆に学校の宿題とかで強制的に読まされた本以外、一切読んだ事がないという人は、これから1000冊あるいはそれ相当の読書量を積むべきという事になります。

    小説を書くなら小説を読むなというのは、既存の作家や作品に安易に影響されるなという意味でしょう。

    これも文字通り捉えると間違いです。今話題の超ベストセラーぐらいは読んでおいた方がいいでしょう。

    読んだ書籍から何を学び取り、何を身に着け、どう活かすか、それが大事であって、単なる数としての読書量が大事なのではない、というご意見には賛成です。

    作家志望者に必要なのは量より質かもしれません。しかし充分な質を確保しようとすれば、特定のジャンルの小説だけでなく、ノンフィクション、傑作マンガ、映画、その他良質なエンターテインメントや芸術に触れる経験も大事です。

    質を確保するには、読んで「時間の無駄だった」というケースも含めて、ある程度の量はこなさないといけないでしょう。「最低1000冊」というのは、それに充分と言える「情報の量のインプット」が必須という意味ではないでしょうか。

    要は「1000冊」という数字のうわべの意味にこだわるのではなく、それに相当する知識、経験、その他の「作家に必要な情報」のインプットを常に確保しておくべき、という話だと思います。

  10. 菊池川詠人 より:

    ついでに余計な事を言わせてもらうと、1997年を境に書籍の販売数、売り上げが減少を始めた原因は日本社会全体の低所得化、貧困化です。

    1997年と言うのは消費税が3%から5%に上がって、日本全体の消費が冷え込んだ時期です。

    そこへバブル経済崩壊後の後始末をズルズルと先送りしてきた不良債権問題が、遂に隠しきれなくなって表面化し、名だたる銀行や証券会社がバタバタと経営破綻しました。

    さらに、1997年から1998年にかけて、アジア諸国の通貨が相次いで暴落する、いわゆる「アジア通貨危機」が起こり、日本円は直接影響を受けませんでしたが、貿易相手であるアジア諸国の経済が大混乱したため、日本企業もかなりの打撃を受けました。

    よく「バブル崩壊以降のウン十年」と言われますが、私の皮膚感覚では日本経済の変調が始まったのは、この1997年からだと思います。

    その後長期不況を脱するため、2000年代に派遣労働の規制緩和などが行われ、いわゆる非正規雇用の若者が急増しました。

    OECDという国際機関の統計では、2012年時点での日本の「相対的貧困率」は16.1%。18歳未満に限れば16.8%が相対的貧困層です。

    全国民の6人に1人が「貧困層」という社会で、文化的消費財である本が売れなくなるのは当たり前です。

    現在、小説書籍を気軽に買える日本人は「中間所得層」以上だけです。

    低所得層、貧困層は、よほど上手い仕掛けをしないと金払ってまで本など買いません。

    これも私の皮膚感覚に過ぎませんが、現在日本で「中間所得層」と言えるのは人口の3割程度ではないかと思います。

    これから作家になろうという人たちは、「中間所得層」にウケる作品を目指すのが、堅実な道でしょう。

    あえて少数派を狙う事になりますが、一発屋で終わりたくないなら、多数派ウケは敢えて狙うべきではないのかもしれません。

    中間所得層にウケるためには、年に何冊かは人それぞれでよいとしても、「年中何かの本を読んでいる」という状態をキープすべきでしょう。

  11. PiQ (@nasenosu) より:

    どうも、自分は本を読むのが早いらしく、いつも驚かれます。二年前から本を読み始め、もう700ぐらいはいってるのではと思います。去年夏休みに200、学校で500、ぐらいです。本は喋らないし静かだから好きです。質問に対してこの卵の声が親鳥に聞こえるかはわかりませんが、私は、本は気がすむまで読むべきものであると考えます。初めて手に取った本が、自分を酔わせ、今も酔い続けています。私の祖父の言葉を借りるなら、「酒は何も心配事がない時、ぐぅ〜と何杯でも飲むものだ」と。納得し、そう思うのです。しかし、屁理屈を言うと小説家になるためには1000冊読む必要があるのなら。世界、または生命が初めて、周りが「読みたい!」と思った作品を創作した人は一体何を1000冊分読んだのでしょうか?私はその答えが出るまで、
    1000冊以下でも、1000冊以上でも、自分がいつか飽きるまで、この趣味をやめないつもりです。

  12. 本を読むことよりも、いかに読むかが問われてくるでしょう。
    1000冊読んだとしてどの作品も「楽しかった」で終わっていては意味はありません。
    寧ろ何故自分は面白く感じたのか、乃至この作品が大勢の人から評価されるのは何故か、という観点から読み解していくことが重要でしょう。
    私は近現代の出版システムにおいて発表された作品はすべて楽しい、と思っております。人数問わずプロの出版社の関係者の目を潜り抜けた作品に変わりなく、彼らが評価をしたからです。彼らが感じた何かがあるのは間違いない。作家になるには人の気持ちを察することが出来ることが重要です。普段の読書感で(自分なりに)読み解けなければ手を変え品を変え読むことが必要です。
    多角的視野を持つためには様々なジャンルに手を伸ばすことは必要でしょうが、この点にこだわりすぎることはないでしょう。
    多読であれ、というのは執筆のための訓練という側面と受け止めます。

  13. YUH (@YUH1117) より:

    読んだ本の数や費やした時間は関係ないと思います。
    僕は仕事の休憩一時間を利用して、お昼ご飯を食べながら、好きなラノベ作家さんの作品をシリーズ毎に二周、三周と読み返しています。だいたい一週間で一冊といったペースでしょうか。
    つまり読んだ本の数はたった数冊。一冊に費やす時間は約七時間。
    昔は物語が好きで、とにかく読み漁っていましたが、小説を書くようになった今では、地の文の表現手法や会話のリズム、キャラの魅せ方など、視点をいろいろ変えてじっくり読んでいます。
    作家さんの癖が移って、二番煎じになり兼ねませんが、僕はまだ先月書き始めたばかりなので、まずは慣れてから、今後地道に手を広げて行こうと思っています。

  14. 読んだ冊数は基本的に関係ないと思いますが、読んだ際に何を感じたか、何を得たかが大事だと思います。
    読んだ感想が数行で終わってしまうような浅い読みになってしまうならそこに小説家としてその本を読んだことで得た価値は決して多くはないでしょうし、逆に数年過ぎた後でも昔読んだある本について熱く語れるというならその本から得たものは多大なものだと思います。
    そして、中には今まで読んだ作品全てが上記の後者だという天才肌の人もいるでしょうが、自分の場合はそうではなく、むしろ前者に比べ後者のほうが今まで読んだ本に含まれる絶対量は圧倒的に少ないです。やはり前者のような数行で終わる感想しか出なかった、読んだ作品にそういうものしか付けられないことの方が多々あります。なので日々読み続ける無数の本の中で時折見つかる自分にとって後者になるような多くのものが得られる本を探すために本はジャンルを問わず、読めるだけ読んでおります。
    (もちろん世間的な評価やウケやすい傾向などを調べる、気にするというのであればある程度ジャンルを絞る必要はありそうですが)

    色々書きましたが、個人的には冊数など気にせず本は読めるだけ読むべきだと思います。そして無理なくとかどれくらいだとか、そういうことじゃなくて、自分が求めるものが見つかるまで探し続けるようなものだと考えます。本で得た経験や知識は得てして書くときの作者の腕となり足となり時に支えとなってくれますから。

  15.  確かに読む冊数、種類の多さは表現に幅をもたせ、さまざまな視点を獲得することの手助けになるかとは思います。
     かしそれ以上に読んで何を感じ、何を考えたのか。
    何を読んだかより、どう読んだのかという方が大事なのではないでしょうか。
     
     様々な作品、大ヒット作品を読んで自分には合わないと感じたこと、面白かったと思うこともあるでしょう。
    それは紛れも無く自分自身の持つ感性であり、それは何ら間違ったことではないと思います。
     
     しかし、そこでは終わってしまうのではなく、自分はなんで面白いと感じたのか、つまらないと感じたのか。ひいては、なぜみんなはこれを面白いと感じたのか。
     
     そういった、自分の感性にこじつけでもいいから自分なりの答えをだすことや周囲と自分の違いがドコから来るのか、ということを考えないと何を読んでも同じような視点しか抱けないのではないでしょうか。
     
     さらに本を読んでいるというだけではどうなのかなとも思うのです。
    やはり何かを書くというのは自身のいままでを反映するものだと思っています。
     自分も試行錯誤の最中ですが、やはり書くという行為を充実したものにするためには経験したり芸術鑑賞をしたり、誰かと交流したりと
    読書以外の出来事もちゃんと体験していかないと感性を育てることはできないのではないかと思います。
     
     1000冊というのは一種の目安で、それ以外の経験の重要性も言外に含まれているのではないかなと自分は考えています。

  16.  読書の量を思索の量と対比して「本はどれくらい読めばいいのか」に答えます。

     よく取り上げられる名句にかのショーペンハウアーの言葉「読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」があります(「読書について」(2)」)
     いくら、そしてどれだけの本を読んだとしても、他人にものを考えてもらったものを鵜呑みにするような読書はいけません。そしてすべてのものは有限ですから、読む時間と読んだ本を材料として自ら考える時間との比率がどうしても存在するので、「本は読んでも読みすぎることはない」ということは現実には言えない、と考えます。
     どれくらいの本を読めばいいのか、は難題です。素早く本を読む人がよき思索家とは限りませんし、反対も同様です。
     ですが「小説家の読書量」として言うならば、材料としてしか使えない(流用することはできません!)既存の本を多く読むより、思索に当てる時間を増やすのがよいかと思います。

  17. 羽原綾乃 より:

     初めまして。私は最近駄文を綴り始めた全くの初心者です。これから此方のサイトを執筆の上での参考にさせていただきたいと思っております。

     さて、私は、小さい頃からサブカルチャーといえばまず読書でした。両親の教育方針でゲーム機を買い与えられなかったこともあり、図書館に通いつめ、児童書に飽きて意味も分からぬ世界名作全集、日本名作全集を貪り読んで育ってまいりました。ちなみに今、中学二年生ですが、既に1000冊くらいは読んでいるように思います。殊に最近は、日本の古典にハマってしまい、漱石鴎外やらプロレタリア文学やら白樺派やら、見境なく読んでおります。

     ですから、私の中での執筆は読書の延長線上にあり、執筆に読書は不可欠なのです。ただ、今回の皆様のコメントを拝読していて思いましたが、やはり無闇矢鱈と読書しても執筆にプラスになることはないのですね。私は最近、自分の好きな古典を読んだら、とにかく感情と理性とをフル活用して「感じ」「考え」、そして最後に解説を読むということにしております。これは、読書を自分の中の世界観に反響させ、視野を広げることを思う故です。しかしこれは果たして正しいのでしょうか?読書⇒自分の成長⇒執筆というふうにワンクッションを挟むようにはしていますが、きちんと読書を消化できているか不安です。何方様か、これが正しいのかどうかお教え下さると幸いです。

  18. インプットすることでアウトプットされます。
    文字を書くなら、文字を食べないといけません。
    さまざまな本を読むことで、さまざまなスタイルの文章を書けるようになります。
    本を読むなら楽しいだけではなくて、修行のようにストレスが溜まるような場合も良い体験になります。
    小説や詩の中に思想や哲学をさりげなくぶちこむ場合でも、本を山ほど読んでいないと無理です。
    自分は睡眠時間を削ってでも読書しています。
    月に10冊くらいしか読みませんが、その10冊を何度も読み返しますよ。線は引きまくりです。わからない単語は紙の本の場合、調べてその本に直接書き込みます。

    皆で本を読みまくりましょう。
    よろしく!

  19. お初にコメントさせていただきます。

    自分はあまり小説を多く読もうとはせず、その代わりに科学雑誌などある種の専門分野が書かれた書籍や好きなイラストレーターの画集など、執筆に関わる内容以外のものから取り込むことが多いです。

    勿論、文章の組み立て方や展開の仕方を考えるとき、参考として小説を読むことはあります。

    アイディアを様々なジャンルから頭の中にインプットして、それが突然物語の中核となる場所や仕組み、アイテムなどへひらめくことも少ないないです。

    そのため、必要だと思えた時に本を読み、それ以外はなるべく異なったジャンルの情報を見つけて小説にインスパイアさせることが大事なのではないかと考えています。

  20. しらねぇよ。眼から血が出るくらい読んだらいいんじゃないですかね。

  21. 匿名 より:

    気にすることなく読みたい本を読みたいだけ読めばいいのではないのかと。

    本に縛られることは特にないとは思いますよ。読みたい時期もあれば読みたくなく時期もある。

  22. 匿名 より:

    読む量というよりは、それを理解出来るかどうかな感じはします。

    言葉の使い方とか、伏線の立て方とか、アイディアの見本とか、そういうのもあるし、それとは別にまた感動することも理解の一つだと思います。
    それが、長く言葉に出来る感想量であれ、短い言葉にしか出来ない感想量であれ、そのときその人がなにかを感じて、それに泣いたり笑ったりしたのは、別にその人にとっては本物でしょうし、その人にとってなんらかの形で残ってはくれると思います。

    数学の問題とかも、興味なくっちゃ公式覚えても応用出来ませんし、英語だって学校じゃ0点レベルだったのに外国で生活するようになったら覚えなくちゃいけないからって自然と身に付き始めたりとかしますし。

    本人のやる気次第かもしれませんね。読みたいか、読みたくないか、理解出来るか、出来ないか、量というよりは、そういう質的な方が大事かな、と私は思います。

  23. 匿名 より:

    数多くの小説を読破するのは確かに文章力の向上につながると思います。
    1000冊というのは大変な量だと思いますが……
    何かを書くのは、あくまでも自分の中にあるものを表現する訳だから、インプットした分だけ引き出しが増えるので、決して損にはならないことじゃないでしょうか。

  24. 岡本ジュンイチ より:

    実数で言いますと、僕が今までで触れてきた本は
    およそ数百はいきますね。
    その本の冊数をジャンル別に分けると、
    現代新書がおよそ50冊
    戯曲がおよそ60作品
    歴史書・雑学書などはおよそ十数冊
    民間団体が発行する教育誌がおよそ100冊
    詩や小説はおよそ二十数作品です。

    僕はそんなに読んでない方だと思ってましたけど、
    今こうして振り返ってみますと、
    案外 結構いろんな本をバランスよく読んでる気がします。

    僕としての感覚では、
    たしかに作家が本を読まないで書くというのは
    相当苦労すると思います。
    ですが、読書を実践した人からすると
    いくらなんでも1000冊も読む必要が本当にあるかどうかは
    少し考えたいところではあります。

    なぜなら、本のそもそもの発端は
    人のお話を記録したものだからです。
    おばあさんのおとぎ話だとか、戦争被爆者の実体験
    また専門家の講義・講座などなど。
    それらのような人の口から発せられる言葉や情報を
    てっとり早く聞くために発明された道具こそが
    いわゆる「本」という代物なのであって、
    別にそれが全てだという感覚はないですね。

    もし「本」が苦手だったら、
    自分が聞きたい事を直接人に聞けばいいんです。
    または興味のある世界を
    自分の足で踏み込んでみればいいんです。
    それとも、ちょっと入り込みづらいと思うんだったら
    それを扱った軽い漫画形式の本を読むだとか、
    それに関するテレビ番組や映画・ドラマを見ればいいんです。

    それである程度把握しておいて、そこで興味を持ったところから
    また考えてみたり 少し調べてみたりすればいいと思うんです。

    上に挙げられている
    「作家は少なくとも1000冊は読まないといけない」
    という考えの奥には、
    本当に1000冊読まないといけないという事ではなくて、
    いろんな事に興味を持たなければいけない
    という概念があるんじゃないですか?

    僕にとって一番キライな作家さんは、
    自分の考えを一番に据えて 知ったかぶりをして
    何の気遣いもない拙い文章だけで自己満足するような人です。

    それで満足する人を 「作家」といっていいのかなって感じはします。
    せめて「アマチュア作家」と名乗るべきじゃないですか?

    それに、たとえ1000冊本を読んだとしても、
    普通は大抵 似通った作品しか書けなくなると思います。
    それは本「だけ」に触れると必ずそうなると思いますよ。

    人生っていうのは、本だけで成り立ってはいません。
    いろんな物やいろんなルール・マナー・モラル、
    そしていろんな人によって成り立ってます。

    それに興味を持とうとしないで 漠然と本や資料を読むだけでは、
    まさに馬の耳に念仏と言ってもいいと思いますよ。

    逆に、
    一人の身内の話から
    いくつもの思考や社会的背景、また価値観や行間を読めて、
    それらの抽象的なものを 小説へと表現できる力がある人の方が、
    本当の意味で「いい作家」だと僕は思います。

    どれだけ読めばいいのかは僕にはわかりませんけど、
    僕が触れた本の実数は数百冊です。
    1000冊もいってないという自信はあります。
            (笑)

  25. myao より:

    数冊読んで小説の書き方が分かったら読まなくていいんじゃね?
    あとは才能でしょ

  26. 匿名 より:

    良いゲームを作ろうと思ったら、たくさんのゲームをしないと難しいです。
    ゲームを一度もしたことない人が、パクリならともかく新たに創造するとなると、余程頭が切れる人でない限り困難です。
    小説家も同じではないでしょうか?
    簡単な絵本から純文学や難読なミステリーをたくさん読んで新たな創造が生まれると思います。

  27. 目標を持って読書をすることはいいことだと思います。
    ひとまず千冊なら千冊と目標を決めてコツコツと目標に向けて努力するだけでも、積み上げていった本の量が活力になっていくと思います。

  28. 匿名 より:

    好きなだけとしか、いいようがないです。分野を問わず読んでるので数万冊は読んでますが、同じ本でも視点が変わって読むと別の作品になりますし冊数では表記できないのでは?

  29. 匿名 より:

    多読を経ずに小説家になった人を私は知りませんし、仮にいたとしても、それはほんの一握りの物書きでしょう。

    言語や文章のセンスはそれ相応のインプットなくしては磨かれませんし、かといってインプットばかりでは、いつまで経っても小説を書けるようにはならないと思います。

  30. 「ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。
    本をたくさん読みすぎて自分自身の脳を使っていない人は怠惰な思考習慣に陥る。」
    これはアインシュタインの言葉です。
    まあ私はアインシュタインではないので、「へー、ほんで?」くらいの感じですが。
    どれくらい読めば、なんて数でボーダーを引くなんて馬鹿げていると思います。
    自分と相談して、自分に何が足りないかをよく見極めて、足りない部分をプラスするような読書を心がければいいんじゃないですかね。あと読むべき本は小説以外にも山の様にあります。そしてその山の中から美しい言葉の表現を見つけ出す事もあります。「○○さんが××って言ってたよ」って、そんなの真に受ける必要ないんですよ。だってあなたも私も○○さんじゃないんだから。プロを目指すんなら、その○○さんは商売敵だという事を忘れちゃいけませんよね。

  31. 杉本友義 より:

    読みたい本を読みたいだけ
    好きな本を好きなだけ
    嫌いな本を嫌いなだけ

  32. あきと より:

    1000冊読まなければ、小説家にならないとかは、はっきり言ってバカが言ってるようなもん。色んなジャンルの本を読むのはいいと思います。ジャンルによって表現の仕方も違うでしょうし。
    メインは、好きな本を。
    次は、このジャンルにチャレンジしてみようと。
    嫌いな本読んでもなんにも+にはならないかと。

  33. 大沢さんの場合、小学生のときからずっとミステリーを読んできたから、体力が違います。大沢さんのおっしゃることは、どういった文脈なのか確認できていませんが、「1000冊読んで初めてプロとして飯を食っていく中でも一人前の小説家だ」という意味だと思います。
    また、冊数に関しても、途中リタイアか、完読なのか、明言していらっしゃいませんから、確かに1つの象徴だと思います。
    そこで、短期的に量を求めるのは賢明ではないと思います。人によって読む速度は違うので、中長期的に見て、質も大事にする方向性が一番だと思います。
    一番ダメなのは、読書量だけ多くて、書く量が非常に少ないということだと思います。
    ちなみに私の場合、本を読んだ冊数は少ないですが、映画ライターとして、映画は人の10倍100倍見ていて批評もできる自負があるので、そこら辺を強みにしていきたいと思っています。

  34. 匿名 より:

    どうやらコメント欄では否定的な意見が多いようですが
    私は1000冊というのはずいぶん控えめな数字だと思います。
    小説を書くというのは本が好きで好きで、小説が好きで好きでしょうがない。
    そういう人がすることではないでしょうか?
    そうでなければどうして人より抜きん出ることができるのか。
    人と同じようなことをして人より優れるつもりでいるのはずいぶん都合がいい考えです。
    恥ずかしながら私は2年前から読書をはじめて、今まで読んだ本は500冊程度です。
    その経験を踏まえて小説を書くのに1000冊と考えた時に、十分であるとはとても思えない。
    恐らく作家になるような方は1000冊など高校生や大学生の時にとっくに通過しているはずです。
    この程度の量に怖気づくようではとても資格がない、楽しんで突破してやっとスタートラインという気がします。

コメントはお気軽に^^

  関連記事

たまごの意見
テーマ:どこからが小説家なのか

今回のテーマは、そもそも、どういう定義になっているのかというお話です。 どうなっ …

たまごの意見
テーマ:プロの小説家になる覚悟はあるのか

今回のテーマは、少し勇気をもって問いかけてみたいと思います。 デビュー後も大変な …

たまごの意見
【たまごの意見】読者は何人いれば満足できるのか

読者がいてこそ、小説である。 何のために小説を書くのか、というのは前提の議論とし …

たまごの意見
テーマ:執筆時間を変えればスランプを脱出できるのか

ふだんは、あまり意識しないことかもしれません。 生活スタイルは人それぞれ 小説家 …

たまごの意見
テーマ:『小説家のたまご』に利用価値はあるのか

本日も、少し踏み込んだ、挑戦的なテーマで意見を伺ってみたいと思います。 小説家の …

たまごの意見
【たまごの意見】テーマ:何のために小説を書いているのか

ちゃんと考えたことって、ありますか。 なぜ小説を書くのか あなたは、なぜ、小説を …

たまごの意見
テーマ:紙の本は絶滅するのか

こんなことは、これまでにも散々語られてきましたし、大手出版会社が発表する売上推移 …

たまごの意見
テーマ:自費出版はありかなしか

新企画、最初のテーマはこちらです。 自費出版はありかなしか そもそも自費出版とは …

たまごの意見
テーマ:小説を書くのに社会経験は必要か

学生さんには、悩ましい問題かもしれません。 社会性を持たないと小説家になれない …

たまごの意見
テーマ:執筆仲間は敵か味方か

今回のテーマは、ここでは意見が片寄ってしまうのかもしれません。 仲間が少ないから …