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【たまコラム:太宰治のすべて】第4回:芥川賞を取りたい!②/前田沙耶子

      2017/02/13

【たまコラム:太宰治のすべて】第4回:芥川賞を取りたい!②/前田沙耶子

こんにちは、前田です。今回のテーマは前回に引き続き、「芥川賞を取りたい!」です。
前回は芥川賞についての説明と、太宰が如何に芥川龍之介に憧れていたのか、について解説しました。太宰の熱烈な思い、少しでもお伝えできたでしょうか?

さて、今回はいよいよ太宰が芥川賞に応募するところから。

<第1回、芥川龍之介賞>

昭和9年、憧れに憧れた芥川賞の設立。太宰はもちろん、賞を取る気満々でした。
その年に太宰は、檀一雄や今官一、中村地平らと共に『青い花』という同人誌を創刊しています。結局この『青い花』は1号のみで終刊となってしまったのですが、そこに発表した「ロマネスク」という作品が小説家・尾崎一雄の目に留まり、『早稲田文学』において絶賛されました。

巻頭に載つてゐる太宰治氏の『ロマネスク』は大変面白かつた。先づ読んで面白い。その上立派な骨格を具へてゐる。作者の芸術的気稟も高く、何気ない口振りの裏に激しい思考の渦巻きが感じられる。

という具合に、もうべた褒めです。文壇から注目されたのが功を奏したのか、同年の『文藝』2月号に「逆行」(この作品で商業誌デビュー)、『日本浪曼派』5月号に「道化の華」を発表するなど、勢い付いていきます。
太宰は友人である山岸外史に「道化の華」が佐藤春夫(芥川賞選考委員)に褒められていると伝え聞いており、自身が賞の候補になっていることを知っていました。当時、パビナール中毒がかなりひどい状態にあった太宰は非常に舞い上がり、もう受賞したも同然、といったような妄想に陥っていました。選考会の前月には、友人・小館善四郎に「僕、芥川賞らしい。新聞の下馬評だからあてにならぬけれども、いずれにせよ、今年中に文藝春秋に作品のる筈」といった手紙を送っています。

この妄想のせいで最も迷惑を被ったのは、他でもない佐藤春夫でした。太宰は毎日のように、芥川賞希求の手紙を、佐藤に送り続けたのです。「このたびは、命うれしく思いました」という熱烈な書き出しで、「うつかり気をゆるめたらバンザイが口から出さうで、たまらないのです」と綴り、「私も悪くはありません、きつと好きになると思います」と、ちゃっかり懇意になりたい旨まで滲ませていたのでした。佐藤は小説『芥川賞』の中で以下のように語っています。

太宰からの日文夜文は、数枚つづきのはがき、或は表紙一枚を書きつぶしたもの、しまいには手に取り上げて見るのも忌わしい気持であった。一途と言えば一途な、しかし自尊心も思慮もまるであったものでない泣訴状が、芥川賞を貰ってくれと自分をせめ立てるのであった。

うっかり褒めたばかりに……という佐藤の辟易とした気持ちが伝わってくるようです。

<まさかの落選、激怒、そして逆恨み>

昭和10年8月10日。東京・柳橋の柳光亭にて、第1回芥川賞最終選考会が行われました。候補作は、石川達三「蒼氓」、外村繁「草筏」、高見順「故旧忘れ得べき」、衣巻省三「けしかけられた男」、そして太宰治の「逆行」の5作。
翌日の読売新聞には、「最初の“芥川賞”無名作家へ 「蒼氓」の石川氏」との見出しが載りました。あんなに取りたかった、というかとる気満々だった太宰は、あっさりと落選したのです。このとき友人・小館に送った手紙には以下のように記されていました。

芥川賞はずれたのは残念であった。「全然無名」という方針らしい。(中略)
ぼくは有名だから芥川賞などこれからも全然ダメ。へんな二流三流の薄汚い候補者と並べられたのだけが、たまらなく不愉快だ。

太宰治26歳。例によって自尊心まみれの暴言で鬱憤を晴らします。
ところがそののち、更に彼を激怒させる出来事が起こりました。

『文藝春秋』9月号には、受賞作と共に、選考委員たちによる選評が掲載されました。「僕は本来太宰の支持者であるが、候補作となったのが「道化の華」でなく、太宰の諸作のうちでは失敗作と思われる「逆行」だったことで損をした」という佐藤春夫の選評や、「太宰氏の「逆行」はガッチリした短編。芥川式の作風だ」という瀧井孝作の評価は、太宰の自尊心をそれなりに満足させるものであったと思われます。
が、川端康成の批評に、再び怒り狂います。
この二作(「逆行」と「道化の華」、筆者注)は一見別人の作の如く、そこに才華も見られ、なるほど「道化の華」の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。
「厭な雲」とは言わずもがな、パビナール中毒のこと。また、その年の春に都新聞社入社試験に落ちた際の失踪騒ぎや、昭和5年に心中未遂を図ったことなどが新聞沙汰になっており、そのことも示唆していました(ちなみに「道化の華」は、この心中未遂を題材にした作品だったのでした)。

図星であるがゆえ、自尊心を大いに傷つけられた太宰は大激怒。『文藝通信』10月号にて、「川端康成へ」とのタイトルの反論文を掲載します。
「作者目下の生活に厭な雲ありて、云々。」事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。
お得意の過激発言炸裂です。余談ですが、この当時川端康成はまだ36歳でした。『雪国』の初章にあたる「夕景色の鏡」を発表したばかりで、選考委員の中では最年少。文学表現や技巧もまだまだ発展途上中の新進作家でした。太宰がここまで怒り狂ったのは、批判されたのがそんな若い作家・川端であったことも関係しているのかもしれません。

さて、「刺す」なんて言われて、川端も黙ってはいられません。『文藝通信』11月号にて、「太宰治氏へ芥川賞に就いて」という反論文を発表します。「刺す」からたったの1か月後のことですから、川端も相当頭に来ていたのではないでしょうか。
芥川賞決定の委員会席上、佐佐木茂索氏が委員諸氏の投票を略式に口頭で集めてみると石川達三氏の「蒼氓」へ五票、その他の四作へは各一票か二票しかなかった。これでは議論も問題も起こりようがない。(中略)太宰氏に対して私の答えたいのは、右に尽きる。/太宰氏は委員会の模様など知らぬと云ふかもしれない。知らないならば、尚更根も葉もない妄想や邪推はせぬがよい。

しかしその後、<「生活に厭な雲云々」も不遜な暴言であるならば、私は潔く取消し、「道化の華」は後日太宰氏の作品集の出た時にでも、読み直してみたい>とも述べており、反論しつつも大人の対応であると言えるのではないでしょうか。
……というわけで、今回はここまでとさせていただきます。文学史上に残る「芥川賞事件」は、まだまだこれで終わりではありません。
第2回、第3回の芥川賞で太宰がどうなったか――という点については、また次回。

 

<参考>
鵜飼哲夫『芥川賞の謎を解く 全選評完全読破』(文藝春秋、平成27年)
太宰治倶楽部『もっと太宰治 太宰治がわかる本』(KKロングセラーズ、平成27年)
青空文庫 様 http://www.aozora.gr.jp/

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たまコライター プロフィール

前田沙耶子(まえださやこ)
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1992年生まれの引きこもり。オカルトと動物と甘いものと三代目魚武濱田成夫が好き。運動ときゅうりと眩しいところが苦手。よく阿佐ヶ谷近辺で酩酊してる。短歌や小説を詠んだり書いたりすることが好きです。Twitter:@penguin__night

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